こんにちはJagiです
今日は、生成AIの到達点を考えながら、その過程で起こりそうなことを考えてみたいと思います
近年、大ブーム中の画像や動画の生成AI。仮想現実を作り出したり、トップクリエイターのようなイラストや写真を、短時間で大量に生産できるツールとして、爆発的に広がっています
この生成AIのツールとしてのゴールは、使用者のイメージを、誤差ゼロパーセントで世に出すことです(私的見解)
大好きなあの人の頭の中を、一瞬でも見ることが出来るなら、あたし・・・死んでもいい!!(急に始まるドラマ)
この人を〇すAIがゴールですぅ(ヤメトケ
このツールとしてのゴールを達成した次に、この頭の中の一部ではなく全部を生成する人工脳の生成が最終到達点となります
あぁ、、ジュリエット、、、(マタカヨ
どうして君は死んでしまったのだ・・・
君がもうこの世にいないのなら、僕は生きている意味なんかぁない!
この人に意味をあたえるAIが到達点です
そういう意味では、生成AIの到達点は人類の不死性の獲得と言えるでしょう
そして、この過程で、起こるいくつかのイベントのひとつに、人間の機能コピーの試みがあります。今現在、そのすごく狭い領域として、イラストや言語モデルの学習機能で、もとになる人間に似せた生成物を吐き出させる試みをいろいろな人が試しています
ここで問題です
余命1年の父親が、子供のために、自分の考えや、経験の数々をAIに学習させ、死ぬ前に子供に贈る。そして、余命が無くなったことは子供に告げず、しばらく療養で遠くにいくから、LINEで連絡をとりあうことにしたと嘘をつく。
子供には、このAIと父親の区別がつかない為、父親の死を知らぬままLINEのやりとりに育てられ、成長していく
これって良いこと?この場合、父親はいつ死んだことになる?
答えは人それぞれ、幸せか不幸かもわかりませんが、ひとついえることは、ここに書いたことは、今現在、大衆化されている技術だけで既に可能になっているということです
それでは、そんな人間のコピーを、トップクリエイターが自ら行った場合、いったいどんなことが起こるのか?
いつもの未来記事としてお楽しみください
AIクリエイティブハレーション・背負いきれない原罪を負った一人の漫画家
かつて漫画界の頂点に立ったある漫画家がいた。
彼は、自らの描く技術と創作の精神をAIに学習させる決断を下し、連載本数を5倍に増やすという前例のない挑戦を開始した。この野心的なプロジェクトは、当初、同業者からの非難と将来への懸念を呼び起こした。しかし、彼はこれらの声に耳を貸さず、読者にトップクリエイターである自分の作品をより多く提供することで、彼らを幸せにできると信じて疑わなかった。
漫画家の信念はやがて実を結び、どれが作家が書いた本物なのか見分けられないレベルで生み出されるようになり、その作品の数々が世界中であらゆる雑誌で、上位を独占した。その革新性と更新速度は、他のクリエイターたちを圧倒し、漫画業界における「一人勝ち」の時代を築いた。この成功は、漫画家にとっては夢の実現のように思えた。
しかし、光が強ければ強いほど、影は深くなる。漫画家自身が心血を注いで創作した連載作品が、徐々に読者の関心から遠ざかり始める。AIによる作品の多様性と効率性の前に、彼自身の作品は色褪せていった。彼はやがて、自分の作品がどのAI作品よりつまらない不人気作になってしまったことを認めざるを得なくなる。
この漫画家の行動が引き起こした影響は、自分だけに留まらなかった。多くの漫画家が、連載を打ち切られ、新人漫画家の夢は破れ、漫画文化そのものが消滅してしまったかのようになってしまった。
このエピソードは、他のクリエイティブな業界にも教訓を与え、技術は、クリエイティビティを支援するための道具であるべきだが、それが創造性の本質を置き換えることがあってはならないという、共通認識を作った。
しかし、現在、既に漫画家の消息は不明となっているが、彼の様なコンテンツは生成され続けている。
いかがでしょうか?
このようなことはいったいどうやって制御したらよいのでしょうか?
AIの怖さを感じる内容のようですが、本当に怖いのは、消費する側が、どちらでもよいと許容してしまうことではないでしょうか
ではまた。
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