ちょっと未来のブログ

AI時代のライターです。本ブログは、これからくるAI時代の膨大な情報を、小さいトピックごとにフィットするサイズでご案内しながら、その行く末をちょっと未来の記事としてお楽しみいただけるコンテンツとなっております

AI時代に食べていける働き口は、もう無い


こんにちはJagiです

今日も一日お疲れ様です。学業や、労働を毎日勤勉に行うことは、何のため?と、ふと疑問に思うこともありますが、まあ、概ねお金と自己満足のためにやるのでしょう

そんな労働は、AI時代が進むにしたがってどのように変化していくでしょうか?今日はそのあたりを少し探ってみたいと思います

 

まず、肉体労働がどの程度AIに代替されるか?という点に注目です。例えば10年程度で代替できることが想像できるものを職業から無くしていくと、今の小学生が就職する年齢になる頃には、対価を得るための労働はほとんど残っていないのではないかと思っています(私的見解)

 

例として、一部の肉体労働を例に挙げてみましょう

 

既に代替されている猫型ロボットの飲食店の店員のような、人間を模した形式のタイプでできる仕事は、人間向けはもうなくなってるでしょうし、医療分野は、検査の自動化と手術ロボで、代替完了。工業製品の生産は、効率性に特化した、産業機器タイプ機器の広がりで、作業員も終わり。

 

ごみの回収や配達なんかの業務も、玄関まで持ってこれないけど、専用BOXを使えば自動配達や回収は技術的に十分できるでしょう

 

最後に残っている、職人やクリエイターの技術については、デジタルで復元できるものは生成AIが、宮大工や料理人のような、五感を伴う、イレギュラーの連続というような技術は、産業技術と近い形で、作業工程ごとにタスクを細分化して、それぞれの工程ごとに専用の技術で対応するやり方で代替可能です。

 

このやり方は、初めのコストは大きいですが、これまで人類が行ってきた産業の基本的な在り方を、ミクロサイズで実施するだけなので、概念としてはそれほど難しくなく、センサーと、稼働スペースと消費エネルギーの問題がクリアされれば、比較的簡単に達成されるでしょう

 

当然、頭脳労働に人間の出る幕はすでになくなっているため、さて一体何の仕事が残ってるんでしょうか?アイドルやコンテンツクリエイターも人間の出る幕は一握りでしょうし、そもそも労働って、やりたくないことをやってお金をもらうとか、時間を差し出す対価として金銭を得るような行為と定義するなら、もうやらなくてよいことになると考えたほうが自然でしょう。

 

そんな、労働が無くなり、何のために働くんだろうと、自問することもできなくなるAI時代に備えて、お金を得たり、自己満足をするためでない労働とは一体何か?を、今日は未来記事として考えてみたいと思います

 

無労働ネイティブが持った疑問と労働ゲーム

21世紀の半ば、人工知能と自動化技術の発展は、人間の働き手を必要としない社会を実現した。小売業から運送業、エンターテイメント業界まで、あらゆる分野で機械が人間を上回る効率とクオリティを提供している。

 

アーティストやクリエイターでさえも、その創造性やクオリティで人工知能に匹敵しない時代。物質的な豊かさは極致に達していた

 

最近では無労働もネイティブ世代、消費量を競うように生きる人類の中で、私は一人の青年に出会った。

 

彼は、物心ついた頃から、全ての職が機械によって占められた世界で生きてきた。そんな彼が、自己実現のために「労働」を経験したいと望むが、どの分野も人間の手は必要とされていない。そもそも、労働を申し込む、雇用主さえ存在しない。この絶望的な現実は、彼を一層労働へと駆り立て、労働を求めて世界中を旅することになる

 

そして彼は、世界各地を旅しながら、様々な労働機器が活動する現場を見学していく中で、時折、そこから生み出される製品の他に、生産過程で発生したバグ品を見つける。それらはすべて、機械が提供する効率や完璧さとは異なるが、たった一つの要素を備えた、独自性を持った個体に見えた・・・。

 

彼はこの時に気づく。私だけに見える、この真の価値は、完璧な成果物にあるのではなく、少し欠けたこのバグ品にこそ感じられる・・と。

 

その後、彼は人工知能を使わずに、最適でないプロセスで不十分な機能を備えたボードゲームを作った。新しさこそなかったが、ゲームクリアまでの、その不条理なまでの非効率さや、ゴールできないこともある、ゲーム進行の不安定さで、爆発的な人気を博した

 

それが、現在流行中の「労働ゲーム」開発者の秘話だ。長年出ていなかった、人間発の久しぶりのヒットは、喜ばしい希望となった反面、筆者にとっては、古の労働の記憶そのものだった。

 

いかがでしたでしょうか?

働くことは、大概無駄で、大した成果物も出せないけど、「私はやった」という自分視点での報酬は、人間にしか得られない感覚でしょうし、汚くて不完全なものでも、その背景を感じて、価値を見出すことが出来るという差が、最後まで残る人間とAIの境界なんだろうなと、現時点では思っています

 

だから、最高に無意味で、大した価値もないことに思い切り時間を費やす自己満足こそ、最後の労働なのです

ではまた。