ちょっと未来のブログ

AI時代のライターです。本ブログは、これからくるAI時代の膨大な情報を、小さいトピックごとにフィットするサイズでご案内しながら、その行く末をちょっと未来の記事としてお楽しみいただけるコンテンツとなっております

AI時代には選挙が無くなる


こんにちはJagiです

 

民主主義を簡単に説明すると国民がその国の政治に直接または間接的に参加する政治体制であり、基本原則は国民の主権(多数の意見)が力を持ち、その力を行使する法による統治が行われる、という感じでしょうか

 

この体制は良いところもありますが、情報が民主化しつつある現代では、分断と停滞の原因になっています

 

そんな民主主義が世に広まっている一番の優位性は、個人の権利の保護と尊重の部分でしょうね。それ以外はシステム的に独裁制の意思決定の速さが良いのでは?という意見もパンデミック後の世界でちらほら聞かれるようになってきました

 

つまり独裁制の一番の問題は権力の私物化が行われることですが、これがAI時代になれば、様子が変わってきます

 

世界の効率化が進み、人間以外のすべてが合理的になる合理主義社会が形成され、その合理性の象徴として、政府は人工知能になり、人類には拒否権だけが与えられるという構造になると考えられるからです

 

民主主義国家の根幹のひとつ法の支配は、罰則による恐怖で守られている部分とは別に、国家やコミュニティへの帰属意識が、法を守らせているという面もあります

 

AI時代には、個人主義が進み、この帰属意識が希薄化することで、民主主義による法治が難しくなり結果として独裁制か、合理主義社会へ移行せざる負えなくなるという予測です。この時国民は独裁ではなくAIが支配する合理主義を選択し、合理主義社会が形成されるというわけです

 

今日はそんなAI合理主義への移行期のエピソードを、未来記事としてご紹介いたします

民主主義の進化:AI主導の合理主義政治体制への移行

長年にわたり、民主主義は多くの国で最も理想的な政治形態とされてきました。しかし、個人主義が進む中で帰属意識が希薄化し、従来の民主主義体制のもとでの意思決定プロセスへの参加者が限定的となり、しばしば誤った結論で国民がそのツケを払う事態が起こりました。

 

これにより、民主主義に対する疑問が提起され、新たな政治体制への模索が始まりました。

この政治的・社会的背景の中で、人々はより合理的で迅速な意思決定を求めるようになり、解決策としてAIの力を政治に取り入れることが提案されました。新たに誕生した政治体制は「AI合理主義」と名付けられ、全ての政策決定をAIが行うシステムが導入されました。

 

このシステムでは、AIが提案する決定に対して人類は拒否権を持ち、この拒否権を用いるかどうかを多数決で合議するというものになり選挙制度は無くなりました


この新しい体制は、独裁制とは異なり、権力の私物化を防ぎつつ、合理的かつ迅速な意思決定を可能にしました。国家間の争いも、感情ではなく合理性を重視した交渉が行われるようになり、多くの難問に対して効果的な解決策が見出されました。

人間の感情や偏見が介在しないため、より公平で平和的な解決が可能となり、国際関係においても新たな進展が見られました。


このAIによる合理主義政治は、民主主義の新たな進化形として注目されています。

人類史で常に求められながらもついに達成することが出来ていなかった、政治の透明性と公平性の向上が実現しました。

拒否権という形で人間の意思も反映されるため、AI支配ではなく、人間とAIのバランスが取れた政治運営が行われています。

 

この新しい体制は、イデオロギーの違いが生んでいた分断や対立の問題を解決し、人類の団結力を高める新たな平和国家の形として注目されています

 

いかがでしたでしょうか?

 

家庭のローカルルールだって、家族という帰属意識がなければ、守られることはなくなり、家庭の崩壊をしばしば起こしています

 

今の世の中の不安定さのもとになっている個人主義の問題解決のために、AIの力を借りる日はそう遠くないのではないかと思っています(私的見解)

 

ではまた。

AIが破壊するレビュー市場でインフルエンサーが失う飯の種


こんにちはJagiです

 

最近誰と、何の感想を語りましたか?

映画の感想、スイーツの感想、漫画やアニメの感想、スポーツ観戦の感想など、感想をおしゃべりするのはみんな大好きですよね

 

大好きというか、人と話す内容で、今後の予定などの連絡系を除くと、ほとんど感想しか言ってないまであるかもしれません(それってあなたの感想ですよね?)

 

一応その他に、情報交換や現状報告とか面白ギャグなんかで、日常会話のほぼすべてでしょうか。

 

そんな日常の感想トークですが、商品レビューなどに形を変えれば、その内容や書いた人で価値がつけられていて、インフルエンサーや、レビュワーが消費意欲を喚起して生んでいる、レビュー市場は数十億ドルから数千億ドルに及ぶともいわれています

 

この傾向は10数年前から現代に向かって右肩上がりで成長を続けていて、これからも成長していく市場だと考えられています

 

ただ、なぜこのように市場が成長しているかという部分に目を向けると、全体的に時間の価値が世の中で高まっていることを背景に、自分で考えることのコストが上昇していることが、ひとつの要因になっていると考えられます(私的見解)

 

端的に言ってしまえば、情報収集をしないで買い物すると損をすることは、わかっているが、それほど重要でない買い物やレジャーについては、それをやるのはめんどくさいので、信用できそうな誰かが調べてくれた情報をもとにして決めてしまおう、という動機で生まれた市場ということです

 

つまり、私見にはなりますが、この市場の成り立ちが、前述の通りだとしたら、近い将来、この市場から人間が報酬を得ることはほとんど無くなると私は考えています

 

何故なら、現在進行形で、生成AIを使ったレビュー投稿で、アフィリエイト報酬を得るというやり方を、おすすめ副業として紹介しているインフルエンサーが大量に発生していて、真偽不明のレビュー投稿が今まさに爆発的に増えている状況だからです

 

ステマとは言いませんが、「バイトの書いたレビューかな?」とかAmazonレビューで思うときありますよね(私的偏見)

 

これからはさらに「これAIが書いた奴じゃないか?」と疑ってみなければいけなくなるということです。

 

それじゃ、レビューを参考になんかできないですよね

 

そんなインフルエンサー自ら市場破壊をしている、レビュー市場について、今日は未来の記事をご紹介したいと思います

インフルエンサーの誤算:AI史に刻まれたレビュー市場の破壊

生成AIの黎明期に、一人の有名インフルエンサーがAIを使ったレビュー生成を副業として広めました。この手法は大いに流行し、アフィリエイトプログラムからの報酬獲得を目指し、あらゆるショッピングサイト、グルメサイト、旅行サイトにAIが生成したレビューが溢れるようになりました。

 

この動きは企業にとっても好都合であり、自社製品のレビュー数増加とインプレッションの向上を歓迎しました。

 

しかし、この状況は長くは続きませんでした。生成AIによるレビューが主流となると、消費者はレビューの真実性を疑問視し始め、従来のレビューシステムの信頼性が急速に低下しました。

 

企業もまた、多くのレビューが実体験に基づかないものであることに気付き、市場でのレビューの価値は著しく失われました。

 

時を同じくして、AI自体の進化も加速し、個々の利用者にパーソナライズされた情報提供ができるAIアシスタントが普及しました。

 

このAIの登場により、消費者はもはや表面的なレビューを基に製品やサービスを選択することはなく、信頼性のある情報ソースとパーソナライズされた自身の情報を、AIがマッチングしてくれたものの中から、選ぶようになり、従来のレビューマーケットは完全に崩壊しました。

 

この出来事はAI史における重要な教訓として残り、AI使用の倫理ガイドラインに、すべての新しい使い方は、人工知能による影響検証演算結果の承認を得て許可されるシステムとして反映されました

 

現代では、レビューが実際に人間によって書かれたものであることを証明する「生レビューバッジ」を販売するサービスが登場し、そのバッジのついた情報をソースとしてAIアシスタントが情報提供をするという新たな市場を形成しています

 

いかがでしたでしょうか?

 

イラストの生成や、プログラム生成、レビューやネット記事などのテキスト生成など、次々と新しい使われ方をしているAIですが、その桁違いの速さで、これからいくつもの破壊のAI史を刻むでしょう

 

それも運命でしょうか?

 

ではまた。

日本はもう超監視社会のディストピアかもしれない


こんにちはJagiです

 

あぁ、できれば生まれながらに善良な、いいひとに生まれたかったよ。そしたらこんな悩み無くなるのに・・・。ちなみに実家は金持ちではありません(私的相関)

 

人は生きていく過程で、誰しも大なり小なりイケナイことをしてしまう生き物だと思いっています(エッチな意味じゃないよ!)

 

もちろん自分が生きるために、生き物をいただくことのような摂理は悪いことではありません。私が今日お話しするレベルのイケナイことは、例えば、お弁当屋さんで無料の割りばしを、1個余分に持ち帰るようなレベルのことです

 

罪悪感というのは不思議で、悪いと思うために、知識や教養が必要で、それらが無いと、法的な拘束や、周辺の人間の怒りを感じたりしないと、そもそも悪いという感覚を持つことが出来ないのです

 

立場によっても変わります

 

子供は横断歩道では手を挙げたり、挨拶したりしないと怒られますが、大人は手を挙げてるほうが恥ずかしい感じです

 

このように罪とか悪というのはものすごい不安定で不確実なものでその時々によって、自分に与える影響が変わるものなのです

 

そんな罪とか悪とかの中で、比較的多数の人間が経験したことがあるであろう、今は誰の目にもとまらない、ちょっぴりイケナイことが、これから先どんどん許されなくなっていくと思います

 

これはやはり記録媒体が進化した監視社会の弊害で、最初は、バイトテロのようなものや、紅ショウガ直喰い男のようなわかりやすいアイコンを私刑に処していきますが、それらの流行が過ぎ去り、そのような愚行をする人がいなくなると、この罪のレベルを徐々に下げながら、快楽私刑の執行官が徘徊するようになります

 

自転車で歩道を走る人、歩きたばこする人、スーパーのカートを元の場所に戻さない人、ポケットティッシュ2個配る人、エレベーターの閉まるボタンを連打するひとなど、ある程度、他人の迷惑が見える化されてるものから、曖昧な物差しで測られた行き過ぎマナー違反のようなものまで、どんどんどんどん、大衆の裁判にかけられていきます

 

そんな今まで誰でもやっていたような、こういった小さい自分勝手な行動が、拡散し増幅され、私刑が執行され、あなたのアカウントにその結果が刻まれる

 

すべての嵐が過ぎ去るのを待つしか対抗する術はなく、「こんな些細なことで・・・」と、後悔してもデジタルタトゥーは消えないのです

 

今日はそんなディストピアになった世界をどのように生きていけばいいのかを考えて、未来の記事としてまとめてみましたので、ちょっとリアリティのあるフィクションとしてお楽しみください

超監視社会の解消、新技術M粒子の活用


AIの進化により、多くの労働が自動化され、人間は生活に必要な労働から解放されるようになりました。しかし、この技術的恩恵による自由が、予期せぬ副作用を生んでしまいました。

 

それは、世界から、共生の概念を薄れさせ、人々は自分勝手に振る舞うのが当たり前の超自由主義が世界を席巻するようになっていったのです

 

しかし、そんな世界中の流行の中で、日本だけは、その逆の超監視社会が形成され、市民は自分勝手な行動をする人々を町中で探し出し、記録し、ネット上で公開し、私刑を執行する文化が流行しました。

 

この日本だけの特異な状況は、人々を恐怖に陥れ
人々は街からその姿を消しました

 

この問題を解決するため、AI技術を活用した新たなアプローチが試みられました。その答えが「M粒子」の開発です。この革新的な技術は、M粒子を散布した空間内のあらゆる記録媒体の動作を不能にするというもので、この機能を利用し、市内に記録不可ゾーンを作りました

 

M粒子の導入は、初めての試みであり、その影響は計り知れないものでしたが、記録不可ゾーンが設定されると、人々は監視の目を恐れることなく外出できる場所として、記録不可ゾーンに集まり始めました

 

当初は、犯罪の横行も心配されましたが、セントラルの監視システムはM粒子の影響を受けず稼働したため、私刑目的の監視が消失し、人々の間に再び温かな交流が生まれたのです。

 

この変化は、街の活気を取り戻すきっかけとなり、社会全体に前向きな効果をもたらし人々は再び平穏な日々を手にしつつあります

 

しかし、記録媒体の制限には根強い反対も多く、最適な区分けの演算が現在も行われている状況です

 

いかがでしたでしょうか?

 

記録媒体の進化がもたらした弊害はたくさんあると思っています。

私はくっきりはっきりした世界より、曖昧さを許容する世界のほうが、生きやすく繫栄しやすいと考えていますし、世界はそうあってほしいと願っています(私的見解)

 

ではまた。