こんにちはJagiです
GWなんで、、、と、いつもと違うことを書くのは今日までにして、明日からは少し充電した後、またいつものように記事を書いていく予定です
ところで、いつものように、、と、変わらない毎日に安心するようになったのは何時ごろからだったでしょうか?
子供の頃は、毎日いろいろな遊びに巡り合い、夢中になれるものがたくさんありました。思春期になれば、勉強やスポーツ、部活やサークル、異性への興味など、やりたいことや初めて体験することがたくさんありました
そこには常に緊張や感動、未知への恐怖や、達成の喜び、危機回避の安堵と様々な感情がセットで生まれていました
でもいつからか、それらの大きな感情の動きを避けるようになり、鈍感になり、変わらない毎日、平和な日々、具体的な不安のない生活を望むようになりました
その時期に個人差はあるのかもしれませんが、私は収入の安定と相関関係があるような気がしています(私的見解)
一定の収入が得られるようになり、またそれが極端に変化するような見込みもない状態では、自分に対する期待値をある程度コントロールする必要が出てきます。
それにより好奇心は抑制され、限界値を設定し、動的制限を設け、その範囲内で生きようとする
いつまでも夢は見ちゃいられないってことですね
このような行動は、多くの人に見られることから、生活環境や個人の資質というより、遺伝子に組み込まれた生存本能なのでしょう。特に島国の農耕民族である日本人に顕著なようにも感じます
とはいえ、私たちはこの状態を楽しいとか幸せだとかは思っていません。失ってしまえば「あの時は幸せだったな」と思うでしょうが、手にしている状態で、そんな風に思える人は少ないのではないでしょうか?
だから、本能に抗い、自分の中の好奇心を呼び起こす作業が必要になります
自分がやりたいと思えること、なんか「できそうだな」って思うことが、心によぎったら、その声に耳を傾けて記録するところから始めましょう
人生は先が長くなりました。体感の統計的には50歳手前くらいまでにほとんどの人が安定志向になるでしょうが、そこから40年近くもさらに生きるのです
今すぐに行動に起こせなかったとしても、ほんのちょっとよぎった直感的な一瞬の好奇のイメージを、記録して貯めておけば、いつか手にした自由時間にそれに挑戦することが出来るかもしれません
これまでの人生で、一度自分を諦めて、犠牲にして、周りの人と調整して、世界を小さくまとめて、そうして生きていくしかなかった社会で・・・
でも、もう一度自分に期待して、何となく好きなものを見つけて、それに自分がなれるかもと夢を見て、できるかもと失敗して、恥をかいたり怖い思いをしたりしながら、少しずつ自分をまた成長させて、そうして自分をまた好きになっていく。
そういう人生の第2ステージを、どこからでもいいので、思い描いてもいいんじゃないかと
人生にリセットボタンは無いですが、そんな強くてニューゲームは「ギリギリあり」なんじゃないかと
だから死ぬまで夢は諦めなくていい
私はそう思っています
ではまた。