ちょっと未来のブログ

AI時代のライターです。本ブログは、これからくるAI時代の膨大な情報を、小さいトピックごとにフィットするサイズでご案内しながら、その行く末をちょっと未来の記事としてお楽しみいただけるコンテンツとなっております

AIと個人情報の未来

こんにちはJagiです

卒業アルバムに住所氏名電話番号を学年全員分載せて配布し、お金持ちの納税ランキングを住所付きで公開していた時代が、2005年くらいまでですから、20年も経たないくらいで、個人情報の価値はずいぶん高まりました

最近では、従業員のネームプレートもニックネームで良くなってますし、町や学校の電話連絡網もなくなって、物理的に閲覧できる個人情報は激減して守られるようになっている一方、ネット上ではあらゆる情報が抜き取られ、束ねられ、売られています

さらには不動産登記の情報など、申請すれば閲覧できてしまう状況が放置されている、個人情報もありますね

どの情報も、目的をもって取得すれば価値があるもので、ほとんどは何かを販売する営業に使われ、それ以外はだいたい犯罪に使われています

そういう意味では、第三者に個人情報を奪われるデメリットは結構大きく、可能な限り堅牢に自らの情報を守りたいのですが、この辺りは自己責任論が強く、いいように奪われているのが実情だと感じます(私的見解)

例えば、無料で何かがもらえたり、ポイントがもらえるアンケートなどは個人情報と引き換えの対価ですし、スマホでダウンロードするアプリを無料で使う場合にもいろんな情報が獲られています

それらをすべて排除して守ろうとしても、会社勤めなら、会社のシステム内に預けることになりますし、病院にかかれば、やはり個人情報の提供は避けられない上、ポイントやクーポンなど割引を使わない客はカモにされている昨今で、個人で守り切ることは、ほぼ不可能な世の中になりました

これが、AI時代になるとどう変化するでしょうか?

それは、より一層、個人情報取り放題の世界になり、簡単に取れすぎるが故に、だんだん無価値になっていくのではないかと考えています

例えば、何か物を売るためのDMを送るために、アカウント情報や、住所の情報を入手したとします。現代なら送り放題ですが、AI時代ならすべて任意にブロックできるようになり、送り付けはできません

不動産投資の勧誘電話攻撃をしようと思っても、つながらないですし、そもそも投資物件がやり取りされるような時代でもなくなっていると思います

つまり、電凸して売るとか、ティッシュ配りのように数撃って当てるようなやり方が全く通用しない世の中になるので、この営業手法が効果を無くして、その為の個人情報も無価値になるわけです

では、犯罪にの為に使われる個人情報は、そもそもネットバンキングや、クレジットカードが個人情報ベースで運用されているから、犯罪に使われるわけで、生体認証(体の一部の遺伝的情報で個人を紐づける)になれば、やはり個人情報では何もできず無価値になります

最後に、ストーキングに使われる個人情報が残りますが、この時代の人々は物理的に移動したり、肉体で直接コミュニケーションをすることは非常に稀になってますから、どこに住んでいるか知ったところで会うことはおろか、近くをうろうろすることもできないでしょう

基本的に、AI時代には知りたいことは何でも知れてしまうし、欲しいものもデータ化できるものはすべて所有できますから、物理的に犯罪をするような事態は、非常に稀になる社会となる見込みです

では、本当にそんな社会になったとして、現代の個人情報はどうなっていくのか?今日はそのあたりを考えて未来の記事を書いてみたいと思います

生体情報改竄未遂事件とその皮肉な結末


先日、ある都市型プラントで、衝撃的なニュースが世間を騒がせました。それは個人の生体情報を自ら改造し、他人になりすます試みを行った者が現れたことです
この事件は、私たちが信じて疑わなかった生体認証システムの脆弱性を暴露すると同時に、現代における肉体至上主義に疑念を生む前例となってしまいました

犯人は、医学的技術を用いて、自身のDNAと生体識別データを改変し、システム上で完全に異なる人物として登録される計画を立てました。

このような極端な行動に出たのは、AIが完璧に管理する社会に一石を投じ、デジタルアイデンティティのセキュリティを突破することで、人間の可能性を示そうと試みたものでした

しかし、この試みはあっけなく失敗に終わります。それは、生体情報と一致しない旧時代の個人情報が原因でした。犯人が見落としていたのは、生体データに紐づく、住所や電話番号、職歴などの旧時代から続くテキストベースの情報の整合性も、システムによって厳格にチェックされていたことです。

犯人の生体改竄は完璧でしたが、このテキストログ情報の不一致はすぐに検出され、改竄は瞬く間に発覚し事なきを得ました

この事件は、現代においてもっとも価値のあるとされている、自らの肉体を犠牲にするという行為が行われたことで、人類全体の計数に新たな乱数を生み出し、また、これまで注目されていなかった、旧来から続くテキストデータの正確なログも重要情報になりえることが、学習されたことにより、皮肉にも、よりAIは完璧になり、人間はより不確実なものになるという結果となったのでした

いかがでしたでしょうか?

記事のような、管理された社会と違い、最近のシステムは複雑になりすぎていて、自分の情報がどこまで利用されているのか全く分かりません。

会員登録すると、謎の営業電話や、迷惑DMが飛んでくるようなサイトもあり、業界全体を監督するとか、格付けするような仕組みを、行政でもAIでもいいので早く作って欲しいと、個人的には思っています(私的要望)

ではまた。

AI時代の給料革命: 人間の交換比率の向上

こんにちはJagiです

お金、大事です(異論は認める

 

だから、大体の人は、自分の時間をお金に変えて生きています
そして、その交換比率の良し悪しが給与の高を決めています

 

これが生きるための仕事というやつですね

 

さて、ここで効率化が大得意なAIさんが、この輪の中に入ってきたとき、いったい

どんな変化が起きるかを今日は考えてみたいと思います

 

まず、AIという働き手が新たに加わることで、人間が担うべき仕事の総量が減ります

 

しかし、その対価の総量は変わらないので、AIに対価を払わないのであれば、人間の仕事に対する交換比率は上がる、つまり時間当たりの給料は上がるということになります

 

給料が上がる??
ほんとに?(ワクテカ!

 

感覚的にはAIに仕事を奪われ、低賃金の仕事に従事することになると思ってました。でもすごくシンプルに計算すると、無報酬でAIが働いてくれてその見返りを人間だけで分配するわけだから、今までより楽して同じ給与をもらえるか、半分の人数で仕事が成立して倍の給与をもらうか、どちらにしても、これまでより豊かになれるわけです(私最高)

 

おいおいおい
AIちゃん、いいんじゃない?

 

ただ、給与を支払う側から考えるとそうウマイ話ではなくなります(エッ

 

雇用主にとっては、今までより楽してるやつに同じ給与は払いたくないので、無償のAIに働いてもらって、人間をクビにします。そしてその浮いた対価を、自分に8割、2割を残ってる従業員に分配して、自分がより豊かになるように配分するでしょう

 

ということは、やっぱりAIの所為で、職を失う人が出てくるのです(絶望

 

つまり、AIが労働市場流入することで、給料が下がるのではなく、逆に賃金は上がり、求人が、その上昇額の何倍も減るという結果になるわけです(犯人は雇用主ですけどね

 

とはいえこの未来を憂いたとて、身に降りかかる不幸が回避できるわけでもないので、この状況に適応するために、必要な論点を整理してみましょう

 

まず、AIが働きだすと、求人も減りますが、労働人口も減り続けていますので、いずれちょうど良くなり、給与も高止まりするでしょう

 

だから、このちょうど良い労働人口になるまでの過渡期にだけ、対策すれば、それほど窮地に陥ることはないと考えます

 

そして、この過渡期にやるべきことは「働かなくても自尊心を保てる心を育てること」です(私的見解)

 

AI時代に仕事は無くなりますが、それで生活が出来なくなるわけではありません。これまで述べてきた通り、対価の総量、つまり成果物の量は変わりませんから、同様に消費しないAIの分、過剰になり、物価は安くなります

 

電気・ガス・水道・通信費は、一定量まで無料。一人当たりの1か月の食費はおよそ3000円程度、国から毎月生活費の支給ありといった感じでしょうか。

 

だから働かなくても食べていけるけど、余暇がメチャクチャに増えた世の中になるわけです

 

そんな、AI労働時代について、今日は未来の記事をまとめてみたいと思います

 

AIの労働市場流入がもたらした社会の変革と新たなヒーローの登場


AIの労働市場への流入は、技術の進歩とともに生産性を極限まで高め、経済の構造を大きく変えました。しかし、この変化は富の格差をさらに拡大し、多くの経営者が社会から批判を受ける原因となりました。

 

AIの導入を積極的に進めた企業の、生産性は急速に向上しましたが、その恩恵は分配されず、上位層の富は大幅に増加し、格差を広げました。

 

これに対する批判も多かったのですが、政府の施策によって、生活必需品の価格が大幅に下がり、結果として多くの人々は生活するための労働から解放されるという前例のない状況が生まれたことにより、多くの人々によってこの格差が受け入れられ、社会は新たな段階へと移行しました。

 

しかし、労働からの解放がもたらしたのは、想定外の問題でした。

 

人々が働かなくなったことで、発生した膨大な余暇に、多くの人々はその使い道を失い、社会全体が鬱々としたムードに包まれました。働くことが生活の中心であった時代と異なり、何をして良いのかわからないという新たな心理的な問題が浮かび上がります。

 

このような状況の中、かつてニートと呼ばれていた人々が意外な形で社会に貢献し始めます。彼らは長い間、仕事に就かずに様々な趣味や自由な時間の過ごし方を探求してきた経験を持っており、大量の余暇を有意義に消費する方法を知っていました。

 

彼らは、余暇を生産的または創造的に活用するワークショップを開いたり、人々が自分自身と向き合い、新しい自分を発見する手助けをしました。

 

ニートだった人々が余暇の専門家として活躍することで、目的を見失っていた多くの人々が自尊心を取り戻し、AI時代の新しい生活様式を受け入れることができるようになったのです

 

いかがでしたでしょうか?

 

このような大きな構造変化が社会に起こると、既存の価値観は

大きく変わってしまいます

私たちはこれから起こる、こうした変化が加速していく様を

見届ける世代になるでしょう

 

それに抗うもよし、流れに身を任せるもよし、どちらにせよ

素直に真っすぐ受け止められる心の準備ができると良いのではないでしょうか

 

ではまた。

AI時代の育児教育: 将来を体験する子供たちへの課題

こんにちはJagiです

今日は、将来のAI時代に向けた、現代の育児について書いていきたいと思います

これからの世の中を変えていくAIのテクノロジーは、私たちがこれまで感じていた未来の世界を、自分が生きている間に体験できる将来へと近づけました

つまり、その将来を生きる子供たちにいったいどんな教育をすればいいか?大いに迷うときが来たということです(私的警鐘)

ここで子供たちの将来の様子を少しお話ししておきましょう

将来の社会インフラがどうなっているのかという具体的な様子は、他の記事で少しずつ書いている通りですが、端的に言うと、「人間が生きるために必要なインフラの維持コストは限りなくゼロに近くなっている社会」です

衣食住+教育&娯楽の、ベーシックなレベルは、ほぼ無料な社会です

貨幣経済が維持していれば、それは、スペシャルな体験と交換するものになっているでしょう

そんな社会に向かって、これから子供たちが成長していくとしたら?

これまでと同じ概念で教育をしていては、何か不足があるのでは?と、感じるところまでは、共通の認識が持てるのではないでしょうか

例えば、日本式の教育メソッドの軸にある「集団行動」の概念は、現代の個人主義イノベーション主義にはマッチせず、生産性の低下、自殺者の増加など、さまざまな社会問題の原因になっているともいえるでしょう(私的統計)

結果論ですが90年代に転換すべきだった教育軸は「コミュニケーション能力」だったわけです。良好な人間関係を構築し、互いのモチベーションを高め合い、素直な自分を、空気を読んで発信できる。そんな力を育んでいれば、この閉塞感が増し続ける日本社会でも、軽やかに生きられたでしょう

このように前述の社会背景をもとにして、新しい教育軸を考えた結論は「本能的欲望の育成」という教育軸です(私的見解)

簡単に言うと「心からやりたいことに気づく力」を育もうということです

現代でも、「やりたいことが無い」「夢が無い」「将来が不安」という若者の声はとても大きく、18歳の意識調査でも40%もの子供たちが、夢が無いと言っている(日本のみの話し)

このように既に問題の片鱗は世に表れています

でも、それが悪いことでしょうか?
若者なら将来の夢があったほうが良いに決まってますか?
それが生きる希望でしょうか?

これらの問いは、人類の繁栄を正とした視点の意見としては正しいですが、若者の視点から見た場合、ひとつのギャップがあります

それが、「すでに夢のような国に生きている」という認識の理解です

衣食住+教育は両親から提供され、エンタメも世にあふれ、命の危険もほとんどなく、子供の頃からあらゆるものを与えられ、多少の不自由はあっても、少子化の影響もあって、十分な投資を受け、個人の自由を謳歌して大人になっているのです

このように、まるで王族のような、ぜいたくな暮らしを、親世代が提供していますから、夢の国の住人といっても過言はないでしょう

だから必然的にこうなります

「夢はないですが、強いて言えば、今までの生活がこれからも続いていければ最高です」・・・と、この回答に何の疑問も湧きません、まったくその通りです。それこそ幸せの極み、夢はすでに叶っているのです

さて、前段が長くなりましたが、現代でもすでに夢のような世界が、AI時代でより完璧な夢の国になった時、この問題はどうなってしまうのでしょうか?

この結論は、いつものように未来記事としてご案内いたしますが、もしもの世界のお話ですから、リラックスして、お楽しみいただければと思います

AI時代の夢のない子供たち:新たな教育革命


AIが発展し、すべてが手に入る時代に生まれた子供たちは、前代未聞の問題に直面しています。何不自由ない生活の中で、彼らは夢や希望という、かつて人類が生きるエネルギー源としていたものを持ちにくくなっています。

この新しい現象は、若者たちが次世代を望まなくなるという社会的な問題へと発展しています

近年、完璧に近い生活条件の中で、充足された環境に生まれた子供たちは、自らの存在意義や人生の目標を見出すことが出来ず、多くの若者が生きがいを感じず、そのことが、子孫を持つことに対しても消極的にさせているのです

この問題を解決するために、ある革新的な教育プログラムが導入されました。その名も「ゼロ電力合宿」です。このプログラムは、子供たちをAI社会の文明から一時的に切り離し、電力供給がない状態での生活を体験させます。この合宿を通じて、子供たちは、ただ自力で生きることがどれほど困難で、受けていた恩恵がどれだけ素晴らしいものだったのかを実感します

合宿の次のステップでは、子供たちに自身の肉体からエネルギーを電気に変換する装置を用いさせ、その電力だけを使う生活を経験させます。この体験を通じて、彼らは有限のエネルギー資源の価値を深く理解し、物事を得るために必要な努力やエネルギーを身をもって体験します。

この合宿をクリアした子供たちは、元の生活に戻った際に、その豊かさを新たな目で見るようになります。そして、このプログラムの最終段階として、彼らは現代の次の段階を想像し、最後のステージに到達します

それは、どのように未来は変化するのか?

変わらず続いていくと思っていた未来が、変化することを理解し、その変化を自らが起こそうとする意志、それが夢であり希望であると、世界の未来に自分を投影できるようになったのです

そしてその変化は、多くの若者に、この過程で出会った仲間との間に強い絆を築き、一部には家族を持つという個人主義から集団主義への回帰傾向が生まれました

完璧に近い現代社会において、子供たちに真の価値を教えるためには、彼らに「ある種の飢餓」を体験させることが必要です。この教育改革は、新たな世代に生きがいを持たせるための一石となり、今後もその重要性が高まっていくことが予想されています

いかがでしたでしょうか?

親子の数だけ育児の方法論はあっていいと思います。

みんな世界にたった一人の子供であり親です

色々ややこしいことを言いましたが、正解のない育児ですから、将来の備えと同じくらい、今目の前にいる子供たちのキラキラした瞳を見て一緒に過ごす時間を大切にしてみんなで幸せに過ごしたいですね(願

ではまた。